恒例のJTB調査、年末年始の海外旅行者は過去最高の見込み
JTBが毎年発表している年末年始の旅行動向調査が発表されました。
今年の年末年始(2017年12月23日〜2018年1月3日)に海外旅行への出発を予定している人は、前年比2.8%増の70万4000人になり、過去最高となる見込みだそうです。
詳細は下記からご覧ください。メディアの登録などは不要ですから、誰でも見られますのでご安心ください。
今年の日本人出国者数は堅調に推移してきましたから、その流れのまま年末年始もいきそうですね。
私が注目したのは、出発日のピークに面白い動きがありそうだという点です。
ピーク日は12月29日と30日という予測で変わりないのですが、航空券やパッケージツアーの代金が下がり始める1月2日や3日の出発も多い見込み。
1月4日と5日に有給休暇を取れる人は、その方がお得に旅行できるのですから、そんな手もありだと思います。
有給休暇の消化率の低さは世界トップクラスの日本ですから、仕事に影響がないのなら旅行に行っちゃうのもアリですよね。
っていうか、1人が有給休暇を取ったからって業務に支障が出るような体制という企業が多いことが問題なのですが。。。
もっと外に出ていろんなものを見て刺激を受けたほうが、楽しい人生になるのは間違いありません。
私も今年は仕事でグアムに行ったのが唯一の海外旅行となってしまいました。
来年はどこに行けるかなぁ。
それでは今日はこの辺で。
ランボルギーニ、スーパーSUV「ウルス」発表!
スペックやら何やらは、あちこちのメディアで報じられていますので、ここでは多くを書きません。
あえて私の所感をいくつか。
所感1:ツインターボ搭載はランボルギーニなのか?
このエンジンは4リッターV8でツインターボを搭載しているそうです。ランボルギーニといえば、自然吸気ならではのあの甲高い音が特徴。フェラーリと並んで代名詞と言ってもよいかもしれません。
SUVということで、低回転域でもトルクを出さなければならないということで、ターボチャージャーを付けることにしたのかな?
アヴェンタドールやウラカンのようにサーキットでぶん回してなんぼというエンジンではないのは確かなようです。
所感2:SUVという形状の限界
ランボルギーニといえば、現行車種であるアヴェンタドールもウラカンはもちろん、スーパーカーブーム時の最高傑作であるカウンタックにも表れているとおり、現実離れしたデザインが売りのはず。
しかしSUVというのは実用性が求められるクルマです。
アヴェンタドールやウラカンと比べると、随分おとなしいデザインだなぁ、というのが私の第一印象でした。
基本的な形状はフォレスターとかCX-5と変わんないでしょ?(笑)
このあたりがSUVというボディ形状の限界なのかもしれませんね。
所感3:フェラーリが高笑いしていそう(笑)
ポルシェがカイエンをリリースして以来、プレミアムカーメーカーやラグジュアリーカーメーカーからも相次いでSUVがリリースされました。
ベントレー ベンテイガ、マセラティ レヴァンテ、ジャガー F-Paceなどなど。メルセデス・ベンツ、BMW、アウディのドイツ組もSUVのラインナップは豊富です。
そんな中、我々はSUVはおろか4ドア車を作るつもりは毛頭ないと言い切っているのがフェラーリです。もともと耕運機やトラクターなどを作っていたランボルギーニは、フェラーリへの対抗心からクルマづくりを始めたメーカー。
陰に陽にフェラーリをライバル視してきた過去があります。
サーキット至上主義のフェラーリからしてみれば、ウルスの登場を「あーあ、大衆に迎合しちゃったよwww」って笑ってそうです(笑)
日本で販売が開始されたら、それなりに売れるのだとは思います。でも、ランボルギーニとSUVというのがつながらないんだよなぁ、イメージとして。
それでは今日はこの辺で。
登山届をネットで行うと…
ネタ切れのため、9月の燕岳登山の時の話を少々してみましょう。
燕岳登山の記事はこちらからどうぞ。
中房温泉の登山口で、登山届を出そうとしたところ、備え付けの用紙のストックが切れていました。
そのそばにネットで登山届を出せるという案内と、URLに飛ぶQRコードが貼ってありましたので、初めてネットで登山届を出すことにしました。
はっきり言って入力は面倒でしたので、ネットで登山届を出す場合は出発前に済ませてしまうのが得策だと思います。
届けの提出が終わると、こんなメールがきます。
紙で提出する登山届と異なる点は、登山終了後に終了通知を行うこと。
終了通知を行わないと、、、一番下に書いてあるように「登山終了予定時刻より7時間以上経過して終了通知が無い場合は緊急連絡者へ通知します」だそうです。
で、私はというと、、、
見事に終了通知を行うのを忘れていました(笑)
なので、こんなメールが何通かきていました。
7時経っても終了通知をしなかった、というかその頃はオートキャンプ場でN君と祝杯を挙げておりました(笑)ので、妻のもとに「終了通知がありません」的なメールが届いたそうです。
「そういえば変なメールが来たよ」と帰宅してから言われました(笑)
しかもそう言われて初めて終了通知を自宅で行った私ですwww
ま、下山後すぐ中房温泉で「無事に下山したよ」とLINEで知らせてあったので、このメールを見たところで心配はなかったとのことでした。
というわけで、まだネットで登山届をしたことがない方は、終了通知を忘れないようにしてくださいね。
それでは今日はこの辺で。
完全燃焼!第12回湘南国際マラソンで自己ベスト更新
今日は湘南国際マラソンに参加してきました。
タイトルのとおり、2013年に記録した自己ベスト(4時間32分59秒)を約14分上回る4時間18分57秒(手元の計測)でゴールしました。
左は完走メダル。まるでこれを首にかけた女の子が空から降ってくるようなデザインですね。「シータ!」「パズー!」って言ってみたくなる(笑)
もっと速い人たちはたくさんいるわけで、「そんなタイムで喜ぶな」と言われてしまうかもしれませんが、何度も跳ね返されてきた4時間30分の壁を初めて破ることができたのですから、感慨もヒトシオなのです。
21kmを過ぎたあたりにあった給水所でゆっくりストレッチをして再び走り出したら、偶然「SUB4:30」と書かれたゼッケンと金色の風船を付けたペースメーカーを発見。
こりゃヤバイ!と思って必死でついていったのですが、どうもペースが速い。
走りながら「ひょっとして、速めのペースで走ってます?」と聞いたところ、「グロスタイムで4時間30分以内のペースです。みなさん、このペースだとネットタイムで4時間15分くらいですから、がんばって維持しましょう!」と周囲のランナーを励ましてくれました。
マラソンに興味のない方のために説明すると、「グロスタイム」というのは号砲が鳴ってからの時間のこと。湘南国際マラソンのように2万4000人も走る大会の場合、後ろのブロックからスタートする人は号砲から20分以上経ってからスタートラインを通過します。実際にスタートラインを越えてからの時間が「ネットタイム」です。
私もスタートラインを通過したのは号砲から約9分後でした。
37kmくらいまでは気合でペースメーカーについていったのですが、徐々に遅れ始めたものの、最終の給水所でボランティアスタッフの「あと2.6km!頑張ってください!」という声を聞き、自分でもよくわからないのですが、無性に腹が立って(笑)「じゃあペース上げてやるよ!」みたいな感じでゴールまで突っ走りました。
手元の時計では4時間半を切ることは十分可能だとわかっていたのですが、ゴールして振り向いてフィニッシュゲートの時計を見たら、なんとグロスタイムも4時間29分15秒!まさかグロスでも4時間半を切れるとは思いませんでした。
湘南国際マラソンの参加は今回で6回目ですが、初めて成功と言えるレースになりました。ペースメーカーのお2人、沿道で励まし続けてくれたスタッフ、観客のみなさん、ありがとうございました!
さてさて、湘南国際マラソンは、東武トップツアーが首都圏の主要駅から会場への直行バスを催行しています。私は池袋発のバスを利用。お値段2900円也。
余談ですが、東武トップツアーは、東武トラベルとトップツアーが合併してできた旅行会社。トップツアーは、かつて東急観光だった会社で、10年ほど前に東急電鉄が「不採算部門は容赦なく切る!」として売却した会社です。
池袋号は西口の芸術劇場の前から出発。この時点で早朝5時50分です。
そして7時過ぎに会場に到着。快晴です。
毎年、この光景だけは本当にキレイだなーと感激。
私はレースのときは携帯電話を身に着けていませんので、コース上の写真はなし。みんなよくあんな思いものを持って走るもんだ(笑)
で、まだまだ走っているランナーがいるなか、意気揚々と引き上げました。下の写真はゴールしたランナーと着替えが終わって帰るランナーでごったがえす会場の様子。
不思議なもので、成功レースだとレース直後は身体の痛みをさほど感じません。30kmあたりで失速して歩いちゃったりすると、コースにいるときから痛くて痛くて。。。
このブログを書いている今、身体が冷えてきましたから、あちこち痛くて階段の昇り降りが大変です。。。
実は、今回で湘南国際マラソンの出場は終わりにしようと思っていたのですが、想像以上に良いタイムが出てしまったので、身体を休めながらゆっくり考えようと思います。
それでは今日はこの辺で。
シビックセダンで考えたファストバックのこと
ホンダのシビックセダンについて、褒めてんのか貶してんのかよくわからない記事がありました(笑)
セダンといっても、デザインを見るとヨーロッパで主流となりつつあるファストバックスタイルですね。
画像:ホンダ公式ウェブサイト(http://www.honda.co.jp/CIVICSEDAN/webcatalog/styling/design/)
ルーフからトランクエンドにかけてなだらかに傾斜して落ちていくラインが、ファストバックスタイルの特徴です。
ファストバックスタイルは昔からあったボディ形状ですが、近年ではアウディが「Sportback」という名でラインナップしていますね。
こちらがA5 Sportbackです。
画像:アウディ公式ウェブサイト(https://www.audi.co.jp/jp/web/ja/models/a5/a5_sportback.html#)
日本の自動車メーカーは、欧州車のデザインを参考にしているというのは以前から知られている話ですが、こういったところにも現れてくるのですね。
それにしても、現行シビックのスペックを見たら、全幅1800mmもあるのね(笑)
EG6やEK9の頃のようなコンパクトなのにパワフルに走るクルマというイメージではなくなってしまったシビック。
最初だけ売れて、伸び悩んだらラインナップから消える、なんてことにならないでほしいなぁ。
うーん、でも今のホンダならやりかねん。。。。
それでは今日はこの辺で。
「平成時代」が終わる時期が決まったことに思う
昨年夏、天皇陛下が「お気持ち」が発表されました。たしか、夏の高校野球選手権の大会屈指の好カード「横浜高校 vs 履正社高校」の試合前だったと思います。(それで覚えているのもどうかと思いますがwww)
その天皇陛下の生前退位の日が、2019年4月30日と決まりました。
私は昭和生まれで、小学5年生のときに当時の官房長官・故小渕恵三氏の「新しい元号は、『平成』であります」という発表を目の当たりにしました。
時代の変わり目を体験するのは2度目となります。
元号というのは、100年を「世紀」という単位で時代を区切る他国と異なり、日本独自の文化ですよね。
小中高と公立の学校に通っている間は「昭和◯◯年」とか「平成◯年」と当たり前のように使っていましたが、進学した大学が左巻きの傾向が強く(笑)、レジュメやスケジュールで使用されるのは全て西暦でした。
それ以降、ニュージーランドでの生活で元号を使うことはなく、帰国して働き始まってからも、海外の政府観光局や外資系ホテル、輸入車メーカー(日本法人のインポーター)の方々との付き合いが多かったため、元号を使うことは極めて稀でした。
そういう状況であることから、よく「世界的に通用しないんだから、元号なんてやめちゃえばいいのに」という意の主張をする人もいます。
私はむしろ逆。
日本独自の文化として、ずーっと残してほしいと思っています。
世界的に通用しないことを理由に、アイデンティティとも言える独自の文化を捨てることは、同列で語られるべきものではないと考えています。
さて、今日はさまざまなメディアで「次の元号は何になるのか?」という話題が取り上げられていました。
私は、今上天皇陛下・皇后陛下の「弱者に寄り添う」という信念・姿勢・行動に心を打たれてきました。
マイナスの空気を持った人のそばにいると、それだけでこちらも嫌な気分になるものです。不平不満ばかり言っている人の近くにいると疲れる、なんて経験をした人も多いのではないでしょうか?
天皇陛下がこれまで寄り添ってきた弱者といえば、雲仙・普賢岳の噴火や阪神大震災、東日本大震災、熊本地震といった巨大災害の被災者が集まる避難所であったり、長年差別に苦しんできたハンセン病患者だったりと、私のようにのほほんと暮らしている人間には想像もつかない苦しみを味わってきた人たちばかり。
にもかかわらず、小さなお体で、色濃く渦巻くネガティブな空気を一身に受け止めて来られたのかと思うと、並大抵の信念でできることではありません。
天皇陛下と皇后陛下は、本当の意味で「優しくて」「強い」のでしょう。
新元号は、天皇陛下・皇后陛下が示してこられた「優しさ」と「強さ」が反映され、日本の未来を明るく感じられるものになるといいな、と思っています。
それでは今日はこの辺で。
神奈川県最高峰「蛭ヶ岳」登頂!あの頃は若かったw
私は今でこそブログで「この登山用具がどうこう」とか「無理は禁物。勇気ある撤退を!」なんて偉そうに書いていますが、登山を始めたのは2009年。キャリアは10年に満たないヒヨッコですw
登山を始めたきっかけは、N君とT君が2008年末に男2人(笑)で奥多摩に行き、大勢の登山客を目の当たりにしたため、2009年の新年会で「俺らも登ってみないかい?」という話になったのでした。
初陣をどこにしようかと話すうちに、無茶をしたがるT君(高校時代にはワンダーフォーゲル部所属。その時に3193mの北岳登頂経験あり)は、「東京都最高峰の雲取山に登ろう!」と言い出しました。
いきなり山小屋泊というのはN君も私も気が引けたので却下(笑)
まずは日帰り登山で奥多摩三山の1つ、三頭山に登ることになりました。
想像をはるかに上回る急登に目を白黒させながらも、無事に下山して数馬の湯に入っているときに、「登山というのはなかなか面白いもんだw」と意見が一致しました。
そうなると「次はどこに登ろうか?」となり、きたるべき雲取山制覇の日までに、山小屋泊も経験しておこうということで、神奈川県最高峰の蛭ヶ岳を目指すことに決定。
1泊2日の日程で、ルートは以下のような感じだったと思います。
1日目:
2日目:
蛭ヶ岳〜臼ヶ岳〜檜洞丸〜西丹沢自然教室
いきなりですが、これが神奈川県最高峰の蛭ヶ岳(1672.7m)です。
雲がなければ後ろに富士山がドーンとあるのですが。。。
この写真には映っていませんが、蛭ヶ岳山荘は山頂にあります。
私とN君にとっては初めての山小屋体験。
相変わらず画像の処理が雑でホラー(持ってるんだからフォトショップを使えよ、とw)ですが、初めての山小屋経験で若干緊張気味。
それでもN君が担ぎ上げてきたサントリー角瓶で乾杯し、初山小屋を堪能しました。
余談ですが、1日目のN君は終始ペースが上がらず、2日目の終盤では足首を痛めました。この角瓶の重さのせいだと思います(笑)
この時の蛭ヶ岳山荘には、それなりに宿泊客はいました。でも、キャラの濃い小屋番のおじさんが「君らは3人でこの部屋を使っていいよ」と言ってくれたので、個室で手足を伸ばしてゆっくり寝ることができました。
ちなみに蛭ヶ岳山荘の後にもいくつかの山小屋に泊まったことがありますが、蛭ヶ岳山荘よりも貧弱な夕食を出す山小屋に泊まったことはありませんw
どうりで自炊の人が多かったわけだ(笑)(今は改善しれるかもしれません)
2日目は下って登っての繰り返し。
這々の体で檜洞丸に着いて記念にパチリ。
ぼかしを入れていますが、みんな笑顔です。疲労のため目は笑えてませんけど。。。
正直言って、2日目は辛くて辛くて、はっきりした記憶がありません。
それでも沢まで下りてきたところで昼食。
梅雨明け直前の蒸し暑い季節でしたが、沢の水は冷たく、みんなで裸足になって足を浸しました。
このポイントは、登山道が沢を横切って続いています。増水すると渡渉できなくなりますので、事前に確認が必要だと思います。
西丹沢自然教室に着いてからは、バスで中川温泉のぶなの湯へ。
その際に買ったタオルが、大きさや厚さなどがちょうどよく、下山後の入浴用タオルとして今でも使っている思い出の品になりました。
それにしても、こうやってみると3人とも若かったなぁ。
装備なんて今とは比べ物にならないくらい貧相でした。ストックもなけりゃサポートタイツも履いていません。私のザックは学生時代にバックパッカー旅をするためサイズなど考えずテキトーに買ったもの。T君のザックは、腰ベルトすら付いていませんでした。
お湯をわかすのも小さいヤカンを使っていましたし、水もポリタンクやペットボトルに入れていました。
今、この頃の装備で登山をしろと言われたら絶対に断ります(笑)
それに、3人ともテントの快適さに慣れてしまったので、幕営禁止エリア(丹沢山域は幕営禁止)でもない限りは山小屋に泊まることはありません。
一方で、「知らない」とか「持ってない」からできたこともあるはずです。そう考えると、寂しいような複雑な気分ですね。
それでは今日はこの辺で。