奥穂高岳チャレンジへの軌跡
ネタが枯れ気味です。。。
そこで思い出話で恐縮ですが、昨年N君とT君と一緒に登頂した奥穂高岳。登頂までに約5年を要したという話は、たびたび書いてきました。
今日は足踏みしていた5年間の軌跡を簡単に書きたいと思います。
2011年:「発端」
ことの発端は2011年9月の槍ヶ岳登頂でした。
槍ヶ岳の山頂から大キレットのはるか向こうに見える穂高連峰を見て、国内第3位の標高を誇る山にも登りたいという気がムクムクと湧いてきたのです。
3人ともSNSには「来年は奥穂高だ!」なんて書いてましたっけ。
2012年:「敵前逃亡」
そして翌2012年。
万全の計画を練り、出発の日を迎えました。
当時私は23区の端っこに住んでいてクルマを所有していなかったため、T君がレンタカーを借り、まずは私をピックアップ。この時点で23時30分を過ぎていました。
N君の自宅までは約40分程度。
ところが環八に入ったら、、、大・渋・滞!
N君をピックアップしたのが1時過ぎ、さらに渋滞を抜けて中央高速に乗り、談合坂SAでトイレ休憩をした時点で3時を過ぎていました。。。
このままでは登り始めの時間が遅くなってしまうため、安全面を考慮して奥穂高岳へのチャレンジを断念。まさか都内の渋滞に阻まれるとは思いませんでした。
周囲には「敵前逃亡」と言われましたけどね(笑)
レンタカーは3日間借りており、せっかくだからということでそのまま北上して富山まで行き、黒部峡谷鉄道のトロッコ列車に乗って、秘湯的な温泉に入り、寿司を食べて、称名滝を見て帰ってくるという、楽しいオジサン3人旅になりました。
2013年:「残念グラート!」
今年こそ!と気合十分で臨んだ2013年の我々ご一行様でしたが、天気予報では台風が接近中という不穏な空気。。。
うまくいけば台風が来る前に登れるかも!と考え、涸沢まで行って1泊。
ちなみにこの時が私のテント泊デビューでした。
私たちの願いは点には届かず、夜半から雨。
早朝になると天気は回復しそうな気配だったため、急ぎ準備して登り始めたのですが、ザイテングラートの途中で雨脚が強くなり、穂高岳山荘付近も真っ白で何も見えなくなったため撤退を決定しました。
ザイテングラートから撤退する間、3人で「残念グラート!」とヤケクソ気味に叫んでいたのを覚えています。
2014年:「台風の野郎のせいで行き先変更」
9月は台風が多いかもねー、という前年の経験を活かし、この年は10月に奥穂高岳へのチャレンジを計画。涸沢の紅葉もキレイだろうという一石二鳥も考えていました。
しかし!
またもや台風接近の予報が。。。特に3連休の2日目夜から3日目にかけて直撃しそうな雰囲気でした。
出発は金曜の夜でしたから、ギリギリの木曜夜まで様子を見ましたが、やはり台風の進路が思わしくないということで、この年の遠征は八ヶ岳の天狗岳に変更。
山行そのものは日帰り登山とし、下山した足で蓼科レイクサイドオートキャンプ場に行き、キャンプして帰ってきました。
天狗岳に登頂したオジサン3人が「天狗になる」の図。写真で振り返ると、いい年して何やってんだか(笑)
2015年:「キレイだった夕焼け」
いい加減、登らせてくれてもいいだろうという思いで挑んだ2015年。
なのに、やっぱり夜半から雨。
テントが飛ばされそうなほどの風雨となり、テント内で初めて恐怖を覚えました。
なので2013年とは違い、途中まで登ることもせず、起床して朝食を済ませたら早々に撤退を決定。
前日夕方の夕焼けはこんなにキレイだったのに。。。
2016年:「時は来た!」
やっと登頂できたのは2016年。
はるか向こうに見える槍ヶ岳の穂先を見ながら、「あそこに登ってから奥穂高岳に来るまで、随分かかったなぁ」なんて話しながら、頂上からの眺めを堪能しました。
何よりも、3人揃って登れたのが良かったですね。
こうして振り返ってみると、やはり無理しなくてよかったと思います。
安全面を考えると、いずれも撤退の判断は正しかった!
死んじゃったら二度と山に登れませんからね。
さあ、来年の遠征はどこになるでしょうか。(今年N君と登れなかった白馬岳が有力な候補ですが)
しっかり働いてお金を準備し、装備を充実させて挑みたいと思います!
それでは今日はこの辺で。