「平成時代」が終わる時期が決まったことに思う
昨年夏、天皇陛下が「お気持ち」が発表されました。たしか、夏の高校野球選手権の大会屈指の好カード「横浜高校 vs 履正社高校」の試合前だったと思います。(それで覚えているのもどうかと思いますがwww)
その天皇陛下の生前退位の日が、2019年4月30日と決まりました。
私は昭和生まれで、小学5年生のときに当時の官房長官・故小渕恵三氏の「新しい元号は、『平成』であります」という発表を目の当たりにしました。
時代の変わり目を体験するのは2度目となります。
元号というのは、100年を「世紀」という単位で時代を区切る他国と異なり、日本独自の文化ですよね。
小中高と公立の学校に通っている間は「昭和◯◯年」とか「平成◯年」と当たり前のように使っていましたが、進学した大学が左巻きの傾向が強く(笑)、レジュメやスケジュールで使用されるのは全て西暦でした。
それ以降、ニュージーランドでの生活で元号を使うことはなく、帰国して働き始まってからも、海外の政府観光局や外資系ホテル、輸入車メーカー(日本法人のインポーター)の方々との付き合いが多かったため、元号を使うことは極めて稀でした。
そういう状況であることから、よく「世界的に通用しないんだから、元号なんてやめちゃえばいいのに」という意の主張をする人もいます。
私はむしろ逆。
日本独自の文化として、ずーっと残してほしいと思っています。
世界的に通用しないことを理由に、アイデンティティとも言える独自の文化を捨てることは、同列で語られるべきものではないと考えています。
さて、今日はさまざまなメディアで「次の元号は何になるのか?」という話題が取り上げられていました。
私は、今上天皇陛下・皇后陛下の「弱者に寄り添う」という信念・姿勢・行動に心を打たれてきました。
マイナスの空気を持った人のそばにいると、それだけでこちらも嫌な気分になるものです。不平不満ばかり言っている人の近くにいると疲れる、なんて経験をした人も多いのではないでしょうか?
天皇陛下がこれまで寄り添ってきた弱者といえば、雲仙・普賢岳の噴火や阪神大震災、東日本大震災、熊本地震といった巨大災害の被災者が集まる避難所であったり、長年差別に苦しんできたハンセン病患者だったりと、私のようにのほほんと暮らしている人間には想像もつかない苦しみを味わってきた人たちばかり。
にもかかわらず、小さなお体で、色濃く渦巻くネガティブな空気を一身に受け止めて来られたのかと思うと、並大抵の信念でできることではありません。
天皇陛下と皇后陛下は、本当の意味で「優しくて」「強い」のでしょう。
新元号は、天皇陛下・皇后陛下が示してこられた「優しさ」と「強さ」が反映され、日本の未来を明るく感じられるものになるといいな、と思っています。
それでは今日はこの辺で。