タビグルマ雑記帳

仕事で触れることが多い「旅」と「クルマ」を中心に、いつも感じていることを書き綴っています。

近世と近代が交錯する街、下田も楽しかった!

先日の伊豆旅行では、行き先がまったく思いつかなかったのでせっかくなので下田まで足を伸ばしてきました。

 

下田の歴史に関係する人物や事柄といえば、下田条約、領事ハリス、お吉、吉田松陰などいろいろ浮かびますが、今回はペリーたちが上陸し、了仙寺まで行進したという「ペリーロード」周辺を散策することに。

 

なお、ペリー上陸の地については「下田ではなく浦賀だ」というご意見もおありかと思いますが、下田市観光協会公式ウェブサイトで「ペリー提督が了仙寺まで行進した道」としてペリーロードを紹介していますので、このブログでもその見解を尊重しています。

 

せっかくなので、ペリーたちと同じルートで了仙寺まで歩いてみました。

 

まずはペリー艦隊来航記念碑に行き、ペリー像にご挨拶。

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記念碑を背に3分ほど歩くとペリーロードの入り口、つまり了仙寺の参道に入ります。

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それにしても、こんなこぢんまりとした場所を洋式軍装を整えた青い目の水兵たちがゾロゾロ行進したというのですから、当時の下田の人々の驚きといったら相当なものだったでしょうね。

 

ペリーロードはかつて花街として栄えた一角でもあります。現在では当時の料亭などの建物をキレイに改修し、カフェや雑貨店、ギャラリーなどとして利用されています。

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花街だった名残なのでしょうね。「日本舞踊伝習所」(正式名称は忘れちゃいました。写真も撮ってないや…)というのが残っていましたから、現在も「下田芸者」として活躍する女性がいるのでしょう。

 

そして了仙寺に到着。お寺としては決して大きくありません。これだけのエポックメイキングな場所にしては、むしろ小さいのではないかと思います。

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ちなみにこの写真の右奥には、大型バスの駐車場がありました(笑)ペリーロードで見かけたよりも多くの人が境内にいるなーと思ったら、そういうことだったのね。

 

でも、ここに来たなら私たちのようにペリーと随員たちと同じルートを歩いたほうが、よりこの地の歴史を感じられると思います。

 

それから、テレビの旅番組などで紹介されているペリーロードですが、番組では結構な誇張があるように思います。横浜や神戸のような規模を期待して「おしゃれなお店を1軒ずつ見て回る」なんて思っているとがっかりするんじゃないでしょうか。

 

ペリーロードやその周辺では、「歴史上の人物が歩いた地を自分の足で歩くことで、歴史に想いをはせる」という楽しみ方が一番に感じました。そのためには、最低限の歴史の知識が必要であることもお忘れなく。

 

ペリーロードを後にした我々は、高台にある下田公園を散歩。ビューポイントからは下田湾が一望のもとに。前日から一転、晴れたので本当に気持ちよかったです。

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下田の散策を終えた後、「道の駅開国下田みなと」に行き、お昼は前日に引き続きまたまた寿司。鼻血が出やしないか心配でした(笑)

 

で、寿司の写真はなし。なんか行儀が悪いように感じてしまうんです。グズグズしてると軍艦の海苔だってフニャフニャになっちゃうでしょ。(前日は慌てて一瞬で撮りましたが、撮った後は後悔ばかり)

 

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この写真の反対側、つまり撮影した私の背中側には下田の魚市場があるのですが、妻は開口一番「TOKIO来てないかな?」だと。来てるとすれば0円食堂かな?まあ、時間的にも静かで人もまばらでしたが。

 

というわけで、思いつきで伊豆に来たわりには、修善寺と下田を堪能するという大成功の1泊2日の旅行となりました。

 

最後に、ペリーロードで見かけた最も不思議なものを載せておきます。

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これ、ホルモン焼きのお店なのですが、なぜ天狗?(笑)

 

それでは今日はこの辺で。