何の因果か3月11日に上野公園、8年前のあの日を思い出す
2011年3月11日、東日本大震災から今日で8年が経過しました。
かなり前のことのようにも思えますが、帰宅難民となったあの日の記憶は鮮明です。
8年前の今日、私はすでに旅行業界誌の出版社を退職することが決まっており、有給休暇の消化ということで、お世話になったライターさんと新宿でランチを食べた後、カフェに場所を移してコーヒーを飲んでいたところで地震が発生しました。
いろいろ端折って書きますが、新宿から当時のオフィスがあった市ヶ谷に歩いて行ったものの会社はもぬけの殻。カギも締まっており、入ることもできませんでした。妻が隣の九段下で働いていたので、その旨を連絡したら、社長に掛け合ってくれて会議室にいさせてもらえることになったのです。
当時は千葉県の柏市に住んでおり、結局その日のうちに家に帰ることができず。
妻の勤務先で一夜を明かし、動き始めた地下鉄で上野まで行きました。
すると常磐線が完全にストップしているとの情報。
上野公園で帰り方についてあれこれ考えた末、千代田線→つくばエクスプレス→東武野田線→バス、と乗り継ぎ、帰宅したのは3月12日の14:30頃でした。
今日は成田空港で取材だったのですが、無意識に1本早い急行に乗ってしまったため、待ち合わせ場所の京成上野駅に中途半端に早く着いてしまいました。
そこで、8年前にあれこれ作戦を考えていた上野公園をブラブラしてみました。
手前に見えるカエルの噴水のあたりで、なんとか購入できたポテトチップスを食べて帰りのエネルギーにした覚えがあります。
その後、西郷隆盛像の脇を通って東京文化会館方面へ向かったはずなのですが、、、
こんな風にきちんと見る心の余裕はありませんでした。
そして、帰宅難民のために開放してくれていた東京文化会館がこちら。
テレビではNHKが東北の状況を伝えていました。
福島の家族・親類縁者も心配だし、自分たちもどうやって帰れるのか全く見当がつかないし、不安で不安でしかたない数時間をここで過ごしました。
ちなみに、日本政府観光局によると、東日本大震災のあった2011年の訪日外国人旅行者数は621万人。2018年は3119万人。
この8年間で5倍近くに増えました。
今日も上野公園にはたくさんの外国人旅行者がいましたし、成田空港の到着ロビーも賑わっていました。
社会がこれだけ大きく変わる時間が経過したんだなー、とあらためて感じた次第。
東日本大震災をはじめ、自然災害で大変な思いをした(&している)すべての人が、元通りの生活、少なくともそれに近い生活が早く取り戻せるよう、お祈りいたします。
それでは今日はこの辺で。