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タビグルマ雑記帳

仕事で触れることが多い「旅」と「クルマ」を中心に、いつも感じていることを書き綴っています。

国際交流事業で海外への思いが強固に

一昨日の記事で予告したとおり、私がかつて参加した「国際交流研修派遣事業」について書こうと思います。もう25年も前の話ですし、写真が手元にありませんので文字だけの記事です。悪しからずご了承ください。

 

この事業は、私の故郷である福島県の石川町が主催したもので、町内在住の中学生、高校生、一般社会人を対象としたものでした。

 

私が参加したのは第2回で、行き先はオーストラリアでした。ちなみに第1回の行き先はアメリカ合衆国で、当時高校1年だった姉が参加しました。第1回は、石川町に初めて赴任してきたアメリカ人「AET(Assistant English Teacher)」が帰国するのに合わせたため、行き先がアメリカだったようです。

 

研修から帰国した姉の姿は、何か別次元の輝きを放っていた、ように中学1年の私には見えました。バックパッカーの旅から帰ってきた友人がいい顔をしているのに似ている、といえば分かりやすいと思います。「やっぱり海外に行くと何かが変わるんだ」という思いが強くなった瞬間です。なので、姉の帰国直後から「来年はオイラを行かせてくれ!」と親に頼み込みました。(参加資格は中学2年生以上でしたので)

 

行き先は英語圏ならどこでもよかった、というかむしろ夏休みなのに季節が真逆の南半球に行ける、というので凄く楽しみでした。

 

それまで飛行機というものに乗ったことがありませんでしたから、まさか初めての飛行機経験が国際線になるとは。機内食とか意味もなくバシャバシャ写真を撮った記憶があります。

 

ちなみにその時に利用したのはカンタス航空。事故ゼロの航空会社として知られていますから、そういう意味では送り出す保護者にとってもオーストラリアで安心だったのではないでしょうか。

 

旅程はシドニー着後に1日市内観光。定番のコアラの抱っこもしました。意外と毛が固いとかツメが鋭いとか、印象と全く違っていたのでショックを受けましたっけ。3日目にはグロースターという田舎町へ移動。ここで2泊3日のホームステイとなりました。当初は2人1組でということだったのですが、グロースターでホストを募ったところ希望者多数ということで、1ファミリーに1人という「絶対に英語しか通じない環境」になりました。最初は不安でしたけど、今思うとそれでよかったと思います。

 

この時に自分が話したことが通じた嬉しさや、単語を知らないために気持ちを伝えられなかった歯がゆさなどは、今でも鮮明に思い出すことができます。

 

最終日は早朝に出発だったので、前日夜に「明日の朝は早く起きなきゃいけません」って言おうとしたのに「early(早い)」が出てこない始末。中学生時代の私は英語の試験で点数が9割を切ったことがないくらい、英語を得意科目にしていました。(高校の英語の成績はひどいことになっちゃいましたが)

 

にもかかわらず、話そうと思ったとたんに出てこない。これはかなりショックでした。後でバスの中で思い出しましたが時すでに遅し。

 

ホームステイ体験の後は、ケアンズに移動。グレートバリアリーフとかキュランダ高原鉄道といった、いわゆる観光をして帰ってきました。

 

この時の経験は忘れることはありませんでしたが、英語に対する情熱は点数を取ることよりも「話すためには何が必要か」といった方向にいっちゃった気がします。高校ではみんなが単語集を作って意味を一生懸命覚えているのに、私は発音記号を学んで正しい発音ができるような練習してましたから。

 

今は「話す・聞く」よりも英文を「読んで訳す」という仕事が多いですが、当時の経験が今の私に結びついています。

 

あらためてあの時に送り出してくれた両親に感謝です。

 

あー、思い出したらオーストラリアに行きたくなってきた(笑)

 

それでは今日はこの辺で。