香港エクスプレスが熊本線に就航!日本10都市目
香港エクスプレス(UO)が11月17日に、香港/熊本線に就航するとのニュースがありました。
同社の公式ウェブサイトでも特設ページがありました。
香港人の出国率は非常に高く、また日本を訪れたことのある香港人もかなり多いとのこと。たしか日本政府観光局(JNTO)の偉い方がどこかのパネルディスカッションで話していたのですが、香港では人口の4分の1が訪日経験があるそうです。
そう考えると、「熊本の人を香港に」というよりは、常に新しい日本の観光素材を探している香港人の旺盛な需要を取り込むため、UOが新しいデスティネーションとして熊本を選んだ、という意味合いの方が強いのでしょうね。
おそらくそこには熊本地震の復興を手助けしたいという、大変ありがたい気持ちがあるのも忘れてはいけないと思います。
以前もこのブログで書きましたが、私は昨年4月にUOを利用して香港経由でベトナム・ダナンに行くという仕事をいただきました。
こちらはダナン国際空港を発つ前に撮った機材全景です。
A320ですから小っちゃい小っちゃいw
こちらは経由地の香港で登場前にタラップから撮った機体胴部。
ちなみに同社が使う機材はすべてA320。熊本線も基本的にはこの機材です。
香港ではターミナルからバスで長いこと走って着いた場所から搭乗という、キャセイ・パシフィック航空や香港ドラゴン航空などのレガシーキャリアと比べると、条件の良くないUO。
そういえば最初の出発地である羽田でも、国際線ターミナルの一番端っこでした。
そんな迫害にも負けず(笑)、熊本は日本で堂々の10都市目となります。
地方都市が世界のいろんな都市とつながるのは、とても素晴らしいこと。
こういう明るいニュースが増えるといいですねぇ。
それでは今日はこの辺で。
リコールになったら面倒だなぁ。。。神戸製鋼の強度偽装
ありゃー、やっちまいましたな。
今回の場合はメーカー側には落ち度はないと思います。
もし強度偽装をした部品がサスペンションアームとかだったら、やっぱり交換のためのリコールになるんでしょうね。その費用はもちろん神戸製鋼が持つことになるのでしょう。
サスペンションアームみたいな部品なら交換で済みますが、フレームの一部を成す部品だったらどうするんでしょうか。一度バラして付け替えるのか。溶接してある部品だったらそもそもバラせないんですけど。。。
我が家のレヴォーグは、この冬に1回目の車検を迎えます。先月、こんなハガキがディーラーから届いたところです。
10月中に点検と車検見積もりを兼ねて入庫しようと思っていたのですが、その後でリコールが出たら二度手間になっちゃうので、もう少し様子を見ようと思います。
偽装したところで、どのみちこうやってバレることは歴史が証明してくれているのに、なぜこういう思考に至るのか私には不思議でなりません。
これまで偽装を隠し仰せた企業ってあるんですかね?
航空機メーカーにも納入されているようですから、何もないことを祈るばかり。
それでは今日はこの辺で。
美味しい!けど日本人の胃袋はそんなにデカくない(笑)
海外旅行で驚くことの1つに食事があると思います。
特に量については、日本の常識では考えられないデカさに目を丸くしたことも1度や2度ではありません。
今日はフリーになってから出張で訪れた国で出会った料理の「量」について書いてみようと思います。
ベトナム(ダナン)
東南アジアだと量が多いイメージはないかもしれませんが、なんのなんの。
初日の夜はダナン市内のレストランで食事でした。
サラダですが、これで1人前。現地観光局の方を交えて6人だったのですが、注文は2皿にしてちょうどよかったです。
メインはこちら。
一見すると多く見えませんが、肉の塊&マッシュポテトです。。。
これがお腹にたまるたまるwww
2日目のランチもすごかったです。
宿泊したホテルのメインダイニングで、ホテルの広報の方との会食だったのですが、、、
これが前菜www
私にとって春巻は十分メインになり得るのですが。
こちらはスープ。
冷製トマトクリームスープでしたが、このお皿が大きかった!これを食べ終わった時点でお腹がチャプチャプいってました。
そんでメインはやっぱり肉。
下の薄い黄色のはクリームたっぷりのマッシュポテト。これもお腹にたまります。
そんでトドメのデザートがこれ。
手前は割ると中からチョコレートがトロっと流れ出る、とっても美味なものでしたが、奥のアイスクリームとどちらかだけでよかったような。。。
美味しいしオシャレで嬉しいんですけど、胃袋に隙間がありませぬ。。。
途中で他のプレスのみんなとも「日本人の胃袋はそんなにデカくないんですけどねぇ」なんて話ながら食べてましたw
繰り返しますが、これはランチです。
グアム
アメリカ準州ということですから、ある程度のデカさに対する覚悟はできていました。
そういうわけでメンタル面での準備はダナンのときよりも整っていましたし、実際に出てきた料理の量はなかなかのもの。
それでもサンセットクルーズで提供された料理の量がすごかったw
これで5人分ですからね。
飢えた男子大学生が5人だったらペロリかもしれませんが、我々は60代男性1人、50代女性1人、40代男性2人、20代女性1人という構成。
ちなみに右上のアサヒビールの缶の隣にある皿は、てんこ盛りの揚げ物たちです。
もう見てるだけでお腹いっぱいですw
サンセットクルーズは最終日の夜でしたので、前日までの3日間ずーっと続いたパーティ料理のおかげで胃腸が疲れていたのは確かですが、それにしても多いっすw
ダナンもグアムも、これだけの量だと味がイマイチなんじゃないかと思われるかもしれませんが、どれもちゃんと美味しいという意外な発見もありました。
そういう刺激を受けるためにも、若い人には東南アジアやグアムはお勧めだなぁと思い出した次第です。
それでは今日はこの辺で。
これぞモータースポーツ参戦の意義!トヨタ、GR HVスポーツ コンセプト発表へ
なんだか嬉しくなるニュースがありました。
トヨタはル・マンに代表される世界耐久選手権(WEC)に参戦していますが、そこで戦うトヨタTS050ハイブリッドからインスピレーションを受けたスポーツカーを、今月末から開催される東京モーターショーでワールドプレミアするそうです。
このコンセプトカーには、TS050のLEDヘッドライトやアロイホイール、ディフューザーなんかのデザインが取り入れられているとのこと。
まあ、デザインは好みが分かれるところなので、その良し悪しをここで語ることはしませんが、レースで得た技術を市販車に展開していくというのは、まさにモータースポーツに参加している大きな意義と言えると思います。
一般人の我々が考える以上に、モータースポーツから市販車へのフィードバックって大きいと思うんです。
レースの世界では、少ない燃料消費量で長く・速く走ることが大前提となります。カテゴリーによって細かいルールは異なりますが、少なくともタイヤなんて1セットで走りきれる方が速いわけですし、給油のためのピットストップだって少ないにこしたことはありません。
よく「レースなんて意味ないじゃん」という声を聞きますが、モータースポーツには極限状態の実験場という意味合いがあります。
ヨーロッパで主流となっているデュアルクラッチトランスミッションだって、もとを正せば「シフトチェンジ時のロスを減らす」という理由でモータースポーツの世界で採用された技術。
今ではこの機構は、フォルクスワーゲンやルノーのような大衆車にまで広がりました。
だからこそ、私は各メーカーに歯を食いしばって何らかのレースに参戦してもらいたいなー、と思っているクチです。
ところが不況の影響で、自動車メーカーにとってモータースポーツは重荷とされてしまい、撤退が相次いでいます。
かつて世界ラリー選手権(WRC)で覇を競い合ったスバルと三菱はワークスとしての参戦をやめてからかなりの時間が経っています。三菱はパリ・ダカに代表されるラリーレイドでも栄光の日々があったわけで。。。
スバルはアイサイトという起死回生の技術があったほか、北米での成功を受けて盛り返しています(トヨタ資本になってからですが…)が、三菱は度重なる不祥事に加え日産傘下になったことで、もうモータースポーツの世界に戻ってくることはないかもしれません。
アウディはWECからの撤退を発表しましたが、これはEV開発に軸足を移すため。モータースポーツから撤退するのではなく、フォーミュラEへの参戦を表明しています。かつてル・マンでも活躍したジャガーも同様ですよね。
そういう意味では、記事のタイトルにあるように「ル・マンで鍛えたハイブリッド技術搭載」というところに、GR HVスポーツ コンセプトのロマンがあると思います。
ぜひ、実現して面白いクルマを世に送り出してほしい!
それでは今日はこの辺で。
寿司屋の大将ありがとう!虹のかかる称名滝:2012年の富山旅行(後編)
2012年は、まさかの都内での大渋滞により、遠征登山ではなく富山旅行に変更した私たち。
前編はこちらからご覧ください。
黒部峡谷鉄道を後にした私たちがまず心配したのは、この日の宿です。
行き当たりばったりで富山まで来ちゃったもんですから、泊まるところが決まっていません。
しかも9月の3連休初日。。。
T君は普段はいたってまともな男ですが、世間からちょっとズレてるところがあり、この時も「1部屋くらい空いてるっしょ」と謎の楽観主義(笑)
挙句の果てに「温泉旅館に泊まりたい」などと抜かす始末。
泣く子も黙る3連休ですぜ、旦那!
空いてねぇって。
N君と私がそう言っても聞く耳持ちません。
「まあ、温泉旅館じゃなくても、富山市内ならホテルくらい空いてるでしょ」と聞かないので、とりあえず富山市内へ。
観光案内所に向かい、市内の宿の一覧が載っているパンフレットを手に取り、片っ端から空きを確認する電話をかけまくりましたよ。
N君と私の2人が。。。
T君は「携帯の電池が切れた」だそうです(怒)
にもかかわらず、N君と私が電話をかけ終わって空きがないことを告げるたびに「えー、空いてないの?」とちょっと不機嫌そうにするT君。ぶん殴ってひん剥いて富山城の堀に沈めてやろうかと思いました(笑)
リアル『犬神家の一族』への思いをぐっとこらえ、5軒目くらいの宿に電話をしたところ、「ウチは空いてないんだけど、◯◯さんのとこならまだ空きがあるんじゃないかな。電話してごらん」とのアドバイス。
そちらに電話をしたところ、「4人部屋が1部屋空いてるけど、1人の人が後から来たら相部屋にしてもらいたいんだが、それでもよい?」ということで即決。
もうT君の要望云々は無視!
空いてたから決めた。はい、行くよ!って感じです(笑)
その宿まで行ってみたら、まあ季節労働の人なんかが泊まるようなところだったわけですが、この日はその手の人はおらず、1人旅とかバイクツーリング、サイクリング旅みたいな人ばっかりでした。
寝るところさえ確保できればなんでもよい私たち(少なくともN君と私)ですから、全く気にしませんでした。
どんな宿だろうが、ギュー詰めの山小屋よりはるかに快適です!(この頃はテント泊じゃありませんでした)
残念ながら写真がないのが悔やまれるのですが、薄ーい布団が4組敷かれている和室で、この世ならぬものが出そうな雰囲気がありましたっけ。
一息ついてから、夕食のため市内に繰り出し、ある寿司屋さんに入店。
これが大当たりで、本当に美味しく飲み食いできました。
大将の「どこから来たんですか?」から始まり、翌日どこか楽しい所はないか訪ねたところ、「称名滝なんてどうです?結構迫力ありますよ」とのこと。
翌日は称名滝に行くことに決め、宿に帰ったら、、、
T君爆睡(笑)
明け方まで目を覚ましませんでした。私とは分野が異なりますが、クリエイティブ系の仕事をしているのでしょっちゅう徹夜とかしてましたからね。疲れてたんでしょう。
だったら温泉旅館じゃなくても関係なかったじゃねぇかwww
そして翌日。
称名滝は寿司屋の大将の言うとおり、想像していたよりはるかに大きな滝でした。
後で知ったのですが、落差350mは日本一だそうです。
とやま観光ナビには滝の写真に「虹が見れたあなたはラッキー」(原文ママ)とあるのですが、、、
わかりますかね?
うっすらとですが、虹がかかっているんですよ!
写真では白い半円にしか見えませんが、実際にはしっかり虹色でした。
寿司屋の大将ありがとう!
この後は魚津で白エビのかき揚げ丼を食べ(正直言って微妙でしたw)、近くの道の駅でお土産を買って帰路につきました。
走行距離は800kmくらいだったと思います。
ドライバー2人とはいえ、よく走ったもんですw
それでは今日はこの辺で。
祖母谷温泉に入ったはいいけれど…:2012年の富山旅行(前編)
昨日の記事で、2012年に奥穂高岳へのチャレンジを都内で断念し、富山への旅行に切り替えた、ということについて触れました。
今日はこの時のことを少し。長くなるので前編と後編に分けます。
夜通し運転して富山県内に入ったのは朝の7時過ぎだったと思います。
高速を降りてからコンビニの駐車場で作戦会議。
富山で一体なにをするのさ、と。
突然来ちゃったもんだから、予備知識も何もありません。
3人の中で唯一の歩くるるぶ的存在であるT君が、「宇奈月温泉に行ってトロッコ列車に乗ろう」と言い出したので、じゃあそうしようと。
3連休でしたから駐車場は一杯かな~、と思いきや、そこはまだ8時台。すんなり駐車でき、切符を購入してトロッコ列車に乗り込みました。
で、写真を何枚か撮ったはずなのですが、携帯が変わったりPCが変わったりするうちに、大半が行方不明に…。
列車に乗っている間の写真が手元にありません。。。
トロッコ列車に乗ってどこまで行くのかとT君に問うと、「欅平駅から歩くと祖母谷温泉という秘湯があるらしい」とのこと。
祖母谷温泉はばばだにおんせんと読みます。
なんか山姥とか出そう(笑)
話はそれますが、T君は秘湯が大好き。
私と2人で秋田に住んでいる先輩を訪ねた(レンタカーで東京/秋田を往復!)帰りに乳頭温泉に寄ったり、白馬岳登山の計画時にも「白馬鑓温泉小屋に1泊して温泉に浸かるのはどう?」と提案したり。
白馬鑓温泉については、、、
N君「温泉は下山後に汗を流せればOK。俺はとにかく稜線を見てみたい」
私「そこに泊まると、2日目に落雷の危険がある時間帯に雪渓を下ることになるから反対」
とケンモホロロに却下されました。それでも「憧れの秘湯なのでワンチャンないかなぁ…」と未練はあったようです(笑)
話を戻すと、欅平駅から祖母谷温泉までは、山道を歩いて約50分。結構歩きます。
そして見えてきたのがこちら。
遠目に見た時は「めっちゃボロ屋じゃん…」とヒザから崩折れそうになりました。
行ってみると、温泉に入るだけならこの建物は一切関係なく、半分屋外のような脱衣所で服を脱いで入るスタイルでした。(なお、他にも入浴客がいましたので、さすがに露天風呂の写真は撮っていません)
浸かってみれば、大自然の中での露天風呂の温泉ですから気持ち良いのは間違いありません。
バッタとかカエルも一緒に入浴してましたけど。そういうのは中学校のプール以来の経験でした(笑)
黒部峡谷鉄道の公式ウェブサイトで写真が少しありますので、興味のある方はこちらからどうぞ。
欅平駅から歩いてくる間に汗だくになりましたから、ここでさっぱり。
ですが、帰りも50分歩かなければなりません。
というわけで、せっかく温泉に入ったのに、欅平駅に着く頃にはまた汗だくになってしまった我々御一行様なのでした(笑)
ちなみに帰りのトロッコ列車では3人とも爆睡でしたから、景色はよく覚えておりません。。。
次回の後編では、「寿司屋の大将ありがとう!虹のかかる称名滝」をお送りします。
それでは今日はこの辺で。
奥穂高岳チャレンジへの軌跡
ネタが枯れ気味です。。。
そこで思い出話で恐縮ですが、昨年N君とT君と一緒に登頂した奥穂高岳。登頂までに約5年を要したという話は、たびたび書いてきました。
今日は足踏みしていた5年間の軌跡を簡単に書きたいと思います。
2011年:「発端」
ことの発端は2011年9月の槍ヶ岳登頂でした。
槍ヶ岳の山頂から大キレットのはるか向こうに見える穂高連峰を見て、国内第3位の標高を誇る山にも登りたいという気がムクムクと湧いてきたのです。
3人ともSNSには「来年は奥穂高だ!」なんて書いてましたっけ。
2012年:「敵前逃亡」
そして翌2012年。
万全の計画を練り、出発の日を迎えました。
当時私は23区の端っこに住んでいてクルマを所有していなかったため、T君がレンタカーを借り、まずは私をピックアップ。この時点で23時30分を過ぎていました。
N君の自宅までは約40分程度。
ところが環八に入ったら、、、大・渋・滞!
N君をピックアップしたのが1時過ぎ、さらに渋滞を抜けて中央高速に乗り、談合坂SAでトイレ休憩をした時点で3時を過ぎていました。。。
このままでは登り始めの時間が遅くなってしまうため、安全面を考慮して奥穂高岳へのチャレンジを断念。まさか都内の渋滞に阻まれるとは思いませんでした。
周囲には「敵前逃亡」と言われましたけどね(笑)
レンタカーは3日間借りており、せっかくだからということでそのまま北上して富山まで行き、黒部峡谷鉄道のトロッコ列車に乗って、秘湯的な温泉に入り、寿司を食べて、称名滝を見て帰ってくるという、楽しいオジサン3人旅になりました。
2013年:「残念グラート!」
今年こそ!と気合十分で臨んだ2013年の我々ご一行様でしたが、天気予報では台風が接近中という不穏な空気。。。
うまくいけば台風が来る前に登れるかも!と考え、涸沢まで行って1泊。
ちなみにこの時が私のテント泊デビューでした。
私たちの願いは点には届かず、夜半から雨。
早朝になると天気は回復しそうな気配だったため、急ぎ準備して登り始めたのですが、ザイテングラートの途中で雨脚が強くなり、穂高岳山荘付近も真っ白で何も見えなくなったため撤退を決定しました。
ザイテングラートから撤退する間、3人で「残念グラート!」とヤケクソ気味に叫んでいたのを覚えています。
2014年:「台風の野郎のせいで行き先変更」
9月は台風が多いかもねー、という前年の経験を活かし、この年は10月に奥穂高岳へのチャレンジを計画。涸沢の紅葉もキレイだろうという一石二鳥も考えていました。
しかし!
またもや台風接近の予報が。。。特に3連休の2日目夜から3日目にかけて直撃しそうな雰囲気でした。
出発は金曜の夜でしたから、ギリギリの木曜夜まで様子を見ましたが、やはり台風の進路が思わしくないということで、この年の遠征は八ヶ岳の天狗岳に変更。
山行そのものは日帰り登山とし、下山した足で蓼科レイクサイドオートキャンプ場に行き、キャンプして帰ってきました。
天狗岳に登頂したオジサン3人が「天狗になる」の図。写真で振り返ると、いい年して何やってんだか(笑)
2015年:「キレイだった夕焼け」
いい加減、登らせてくれてもいいだろうという思いで挑んだ2015年。
なのに、やっぱり夜半から雨。
テントが飛ばされそうなほどの風雨となり、テント内で初めて恐怖を覚えました。
なので2013年とは違い、途中まで登ることもせず、起床して朝食を済ませたら早々に撤退を決定。
前日夕方の夕焼けはこんなにキレイだったのに。。。
2016年:「時は来た!」
やっと登頂できたのは2016年。
はるか向こうに見える槍ヶ岳の穂先を見ながら、「あそこに登ってから奥穂高岳に来るまで、随分かかったなぁ」なんて話しながら、頂上からの眺めを堪能しました。
何よりも、3人揃って登れたのが良かったですね。
こうして振り返ってみると、やはり無理しなくてよかったと思います。
安全面を考えると、いずれも撤退の判断は正しかった!
死んじゃったら二度と山に登れませんからね。
さあ、来年の遠征はどこになるでしょうか。(今年N君と登れなかった白馬岳が有力な候補ですが)
しっかり働いてお金を準備し、装備を充実させて挑みたいと思います!
それでは今日はこの辺で。