こぼれ話シリーズ:マカオの街中で見られる中国への返還前と後で変わったものとは?
5月13日〜17日の4泊5日でマカオ政府観光局が主催するプレスツアーに参加してきたことは、現地滞在中からちょくちょく書いてきました。
今日は記事化にはいたらないネタを書く「こぼれ話シリーズ」として、マカオがポルトガルから中国に変換される前と後で変わったものをご紹介したいと思います。
そんなに大きな話ではありませんので、気楽にごらんください(笑)
日本でも電柱などに貼られている「◯◯区△△町」などの住所表示は、皆さんも見たことがあると思います。
同じようなものがマカオにもあります。
これが現在のものです。
上段が中国語、下段がポルトガル語です。
1999年にポルトガルから中国に返還される前の表示はこうだったそうです。
ポルトガル語部分の面積が約8割、中国語部分の面積は2割程度でしょうか。
ではなぜ、現在も変換前のものが残っているのか。
これはポルトガル領の時代を再現するためで、あくまでも観光地限定だそうです。
最初に紹介した写真はマカオ半島の十月初五日街で撮ったもの。観光地というよりは地元民の生活に密着した一角でした。
2番目に紹介した写真は、セナド広場近く、聖ドミニコ教会の向かい側あたりにあったもの。セナド広場も聖ドミニコ教会も世界遺産で、大勢の観光客が訪れる場所です。
観光地限定とはいえ、このような表示ひとつとっても往時を偲ぶものに変えてくれているあたりは、さすがに観光大国のセンスだなと感じた次第。
なお、いずれの道路標示も白地に青い文字と縁取りのタイルですが、これはアズレージョというもの。
アズレージョについては別の機会に書いてみたいと思います。
それでは今日はこの辺で。
マカオ滞在中に私が感じたことなどは、こちらをどうぞ。